詩人で政治家でもあったバイロン卿は、その生涯においてもその芸術的な詩を残す生活と経験をしている。数多くの恋沙汰を残し、浮世を騒がせたバイロン男爵であったが、1815年にアナベラ・ミルバンクと結婚する。
このときにもうけた子が世界最初のプログラマーとされているエイダ・ラブレスであるが、翌年に別居し、その乱れた生活が批判を受ける。その後、イギリスを去りスイスのジュネーヴヴェネツィア、ラヴェンナ、ピサ、ジェノヴァで退廃した生活を続け、数多くの恋話を作り上げることになる。
ジョージ・ゴードン・バイロン(バイロン男爵)
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第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron, 1788年1月22日 – 1824年4月19日[2])は、イングランドの詩人。バイロン卿として知られ、単に「バイロン卿」(Lord Byron)というとこの第6代男爵を指すことがほとんどである。
バイロン卿が妻へ送った当時の関係を表すラブレター
My Heart
We are thus far separated – but after all one mile is as bad as a thousand – which is a great consolation to one who must travel six hundred before he meets you again.
If it will give you any satisfaction – I am as comfortless as a pilgrim with peas in his shoes – and as cold as Charity – Chastity or any other Virtue.
愛する君へ
僕たちはまるではるか遠くに引き裂かれたようだけど、結局はたった1マイル。その1マイルが君のもとにたどり着くまでは600マイルもの旅をしないといけない距離と同じに感じるくらい遠く感じてしまう。
その道のりが君を納得させるのなら、僕は少しの豆を靴に忍ばせた巡礼者のようにでもなる。美徳や純潔のある寂しい慈善活動でもしよう。