織田信長が秀吉の妻ねねに送った手紙から読み解くノブナガの素顔

織田信長の素顔が見える手紙の内容と詳細

ノブナガといえば、冷酷無比で物事も即断即決。家臣からも恐れられた武将のイメージがどうしてもついてまわる戦国武将の代表格ですが、この手紙秀吉の妻ねねに宛てた手紙のように、まわりの女性にたいしても細やかな気配りや配慮が見える内容になっており、勝手にイメージしてしまっているノブナガのそれとは大分違うものになっています。

尾張のあるひとつの豪族から、天下統一の1歩手前までいったノブナガのイメージとは異なった部分が垣間見れる手紙であり、本当の姿がよく表れた手紙なのかも知れないので非常に貴重な手紙となっています。また、自分の妻にノブナガじきじきに手紙が来て、それを見せられた秀吉はどんな思いで読み、どんな顔をして読んだことだろうと考えるとなお味わい深いものになっています。

 

織田信長が秀吉の妻ねねに送った手紙

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信長の手紙の現代語訳

このたび安土城をはじめて尋ねてくれてとても嬉しかった。その上、筆では書けないような、見事なお土産まで持って来てくれて有難う。何か返礼にと思ったが、その方の土産があまりの素晴らしので、このたびは止めて、この次にでも渡そうと思う。

その方の美貌も前に会ったときに比べて10のものが20になるほど美しくなっている。藤吉郎がなにかいっているが、言語道断。何処を尋ね歩いても、あの剥げ鼡には、その方のような女性は見つからない。
これから先は陽気にふるまい、奥方らしく心を大きくもってやきもち等は妬かないように。 夫を立てるのが女の役だから、慎み深く世話をしてやるように。この手紙は秀吉にも見せること。

 

ねねと秀吉の結婚と信長の関係

1561年8月に、織田信長の家臣・木下藤吉郎(豊臣秀吉)と結婚するが、実母・朝日の反対を押し切って嫁ぐ形で結婚した。(通説では当時14歳)

当時としては非常に珍しい恋愛結婚であり、結婚式は質素に行われたとされる。秀吉とねねの間には子供が無く、親類縁者の周りの人を養育していったのも当時としては珍しかった。(加藤清正や福島正則など)