シャーロット・ブロンテが自身の先生へ送った素直なラブレター

シャーロットブロンテは、ブロンテ3姉妹の長姉であり、鋭い社会風刺とその時代への反抗を同名の女性を用い描いた『ジェーン・エア』で反響を呼んだ作家である。

シャーロットは、幼いころから文学にふけり当時より多くの詩や戯曲を書く。1831年より、私塾で1年半学び、その後家庭教師として各地を転々とする。妹と相談したうえで私塾を開くことを計画し、エミリーとともに1842年、ベルギーのブリュッセルにあるエジェ寄宿学校へ留学するのだが、その留学先のエジェに恋慕を抱いてしまう。

シャーロット・ブロンテがエジェに送った手紙は残っており、その手紙は当時のシャーロットの純な気持ちが表れている人間的な手紙になっています。シャーロットとエジェの愛は叶うことはありませんでしたが、詩的な表現が含まれるラブレターになっています。

 

シャーロット・ブロンテが先生であるコンスタンティン・エジェに送ったラブレタ―

January 8, 1845
1845年 1月8日

Monsieur, the poor have not need of much to sustain them ? they ask only for the crumbs that fall from the rich man’s table. But if they are refused the crumbs they die of hunger. Nor do I, either, need much affection from those I love.

I should not know what to do with a friendship entire and complete ? I am not used to it. But you showed me of yore a little interest, when I was your pupil in Brussels, and I hold on to the maintenance of that little interest ? I hold on to it as I would hold on to life.

貧しい人々は多くのものを必要としていません。彼らはただ裕福な人々のテーブルからこぼれ落ちるひとかけらのパンくずだけでもと思っているのです。裕福な人々がそれを断ってしまうと、彼らは餓死してしまうのです。私も愛する人からたくさんの愛を求めているわけではありません。

私は完全な愛というものをわかっていないのです。私はそのことについて慣れていないのです。だけどあなたは私にほんの少し見せてくれました。私がブリュッセルであなたの生徒だったとき、ずっと少しの関心を持っていました。それはこれからの人生ずっと感じ続けることでした。

シャーロット・ブロンテ wikipedia

1816年4月21日、イギリスのヨークシャーのソーントンに、牧師パトリック・ブロンテの三女として生まれた。ハワースに一家が移った翌年の1821年に母マリアが死去。1824年8月、姉2人と2歳下の妹エミリーと共にランカシャーのカウアン・ブリッジ校に入学する。しかし、その学校の施設は環境が劣悪であり、姉2人は寄宿舎の不衛生が原因で結核にかかり1825年に11歳と10歳で死去した。この学校は『ジェーン・エア』のローウッド学院のモデルである。

ブロンテは1846年5月、カラー・ベルの筆名で、3姉妹共同の『詩集』を出版する。2部しか売れなかったが、3人は小説を書き始め、シャーロットは「教授」を完成させた。この作品は出版社に受け取ってもらえなかったが(死後出版)、父の看病の合間に第2作「ジェーン・エア」を執筆し、1847年10月にカラー・ベルの筆名で刊行。社会に反抗する同名の女主人公は大反響を呼び、その名前を広く知られるようになった。

   

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